豪雪地帯の人にとって雪はうんざりするものかもしれないが、首都圏生まれ首都圏育ちのオレにとって雪はときどきしか降らないし積もらないレアなもので、子供の頃に心の一部を子供のまま凍結させ、誰も居ない所や心を開ける人の前でその子供のキャラが出て来る八重人格者のオレは、40歳になった今でも雪が降ると子供のようにワクワクする。
40歳になってもいまだにメンヘラ気質なオレは常に他者や世界との一体感を求めていて、災害時など、普段はそっけない態度ですれ違っている人間同士が同じ対象に関心を持ち、人種や年齢、性別、価値観や思想の枠を超えて一体になる感じがたまらなく好きだ。
あまり雪が降らない地域にとっての雪もそういう災害時などに通じる要素があり、世界と一体化するような"非日常感"を感じることが出来る。(豪雪地帯にとっては雪は文字通り災害なんだろうが、日常的すぎて"非日常感"は得られないだろう。)
もっとも、露骨にワクワクしてはしゃいでるのは子供と、犬、そしてオレみたいに大人(人間)になりきれないまま身体だけ歳とった爺さん婆さんくらいなものだが、雪のように白々しくそっけない態度で道を行き交う人々の中には、表向きは世間体を気にしつつも微妙に非日常を感じているような、性ホルモンの分泌が常に非日常的な夜勤看護師の女性がいたり、IQこそ低くは無いものの、馬や鹿のような顔をしながらいつもよりもせわしなく荷馬車に積んだ過去の過ちや他人に言えない秘密を引きながらいそいそと帰路につくサラリーマンや公務員の男性がいたりして、なんだかんだと雪に関心を取られ、さらには足も取られて「こりゃあ一本取られましたわい!」「それ以上足元見ないでおくんなし!」などと喚き声を上げている。
あたり一面が真っ白な雪に覆われると、自分が犯した罪や、頭が常に囚われている欲望、他人との比較なども雪に覆われて、全てがこの穢れた心から消え去って、魂が浄化されるような感覚になる。
だが雪が溶けて春になればまた仕事、金、欲望、見栄、嘘、不安、罪悪感、孤独感といった現実に苛まれてしまう。
それならばもういっそのこと雪に埋もれて、「自分の存在」という現実を真っ白な雪で覆い隠してしまいたい。
過去にも何度か凍死を試みたが、首都圏程度の寒さでは風邪を引いただけだった。
本当に限界が来たら今度は北海道などへ行って酒と睡眠薬を飲んで雪に埋もれて永眠するのもありなのだろう。