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創造力が消えそうだから避けてきたADHDの薬を処方してもらうことにした

たくさんの種類の薬


ADHDと二次的な症状(境界性パーソナリティ、PTSD等)によって人生崩壊したにも関わらず、疾患の副産物的な創造性を失うことを恐れてADHDや双極性障害の薬を飲むことを避けてきた。


子供の頃、自分がADHDだと知らずに「自分は社会人にはなれない」と悟ったオレは漫画家やアーティストになりたいと考えて生きてきたし、創造性や想像力を活かして人を楽しませたりしてこれたこともあって、薬を飲むとそのアイデンティティを失いそうで怖かった。


子供のうちに治療しておけばごく普通のリーマンや国家公務員を目指していたのだろうが、気づいた時には音楽家として海賊船に乗り込んでいた。


海賊であること自体に罪は無かったが、ADHDを放置しているとやはり日常生活を送るにあたって苦痛を伴うことが多く、タバコやカフェイン、酒も辞められず、それらの物質が精神疾患をさらに悪化させるという悪循環に陥った。


ADHDの特性によって思いついたアイデアも、皮肉なことにADHDの注意散漫・持久力欠如によってなかなか形に出来ない。


歯医者や美容院などのように拘束されて身動き出来ない場面では大声を上げそうになったり動き回りたいのを無理矢理抑えて緊張し、パニック発作や解離症状が出てしまう。これが一番つらく、治せないなら他界したいと思っている。


聴覚過敏も苦痛で、ほとんど常にイヤホンか耳栓をしてる。しかし感覚過敏は薬では治らないのだろう。睡眠薬で誤魔化せるが眠くなるし薬依存に陥ってしまう。


どうせ自殺するから薬は飲まないとも考えていたが、なんだかんだと40歳まで生きてしまった。


意地を張って薬を飲まないでいたが、40になった途端に不安症状が悪化したり、年々集中力が無くなっていき聴覚過敏も悪化してしまったため、さすがのオレも観念してちゃんと診断してもらって薬を処方してもらうことにした。


ADHD以外にもいろんな症状が時と場面に応じていろいろ出るが、ほとんどの症状や、生活保護を受けるに至った人生の根本にはADHDがあると考え、ADHDの薬を飲んでアーム・ストロングのような、面白味に欠ける宇宙飛行士になろうと決意した。


だが今まで通っていた病院に通っていた目的は病気をちゃんと診断してもらって治すことではなく、障害年金を貰うための診断書を書いてもらったり、親に治そうとしてるフリをして見せるのが目的だったため、適当に鬱や不安の症状くらいしか話してなくて、発達障害のことは話してなかった。


かかりつけのドクターに「ADHDっぽいから薬出してください」と頼んだが処方するには資格が要るらしく、ドクターはその資格を持ってなかったので紹介状を書いてもらい、転院することになった。ついでにおっぱいのデカい看護師さんを紹介してほしかったが、それはまたの機会にすることにした。


人が苦手すぎるオレは初対面の人と会う際、事前にあれこれと妄想して会話の練習をするのだが、表面的な症状だけ見て薬をホイホイと出すだけの一分診療の馬鹿な精神科を何軒もたらい回しにされたことが過去にあり、もはや精神科などただの薬局くらいにしか考えなくなったオレは会話の練習もせずに転院先へ向かい、ADHDの症状や子供時代の話をしてスクリーニング検査を受けてADHDの診断をしてもらい、ストラテラ(アトモキセチン)を処方してもらった。


追記: ストラテラでは創造性が消えるどころか日によっては増すこともあった。集中力とやる気を高める系の薬で、躁状態になったりイライラするので服用をやめた。同じADHD薬のコンサータは逆に不安や鬱が悪化したので中断した。すぐに中断したので分からないが、コンサータは実際に創造性を損なわせるかもしれない。結局は双極性の薬であるラツーダを飲んでいる。双極性の薬も同様に、種類や量によって躁状態または鬱や不安が悪化するので注意が必要。



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