スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2022の投稿を表示しています

性欲に悩まされ続けた40年 (ADHD・双極性障害と性依存症)

ADHDや双極性障害(躁うつ病)、これらと併存しやすい境界性パーソナリティ障害の人は脳の報酬系を刺激する依存物質(アルコール・カフェイン・麻薬)や行為(ゲーム・SNS・ギャンブル・性行為)に依存しやすいらしく、オレも各種依存症に悩まされてきた。 ストレス耐性がなく、ちょっとストレスが溜まるとすぐ快楽行動に走ってしまう。 特に苦悩してきたのは性依存症で、幼稚園児の時に性的快楽を覚えて以来常に悩みの種だった。毎日のように変態オナニーをしまくり、女性の後を付けまわして髪の匂いを嗅ぎまくり、痴漢衝動に駆られながら生きてきた。 若い頃には後ろ姿を盗撮したこともあった。女性の後ろを追いかけずにはいられない所があって、8才くらいの時には女の子の後ろ姿を観察する内容の詩を書いていた。 全てのADHDや躁うつ病の人間が性依存症とは限らないが、依存症の人は多いだろう。 オレは映像や図形、音などを処理すると言われてる右脳が活発なせいか、女の丸みを帯びた身体のラインとか、デカいオッパイとか、風になびく長い髪とか、派手な茶髪とかに過剰に反応して興奮してしまう。ヒールの音を聴くだけでもう興奮してしまう。 頭を切り替えられない性質も相まって、街で見かけた女性の姿が頭から離れず、その女性に似たAV女優を探してシゴいたり、OLのパンストに興奮したらパンスト物の動画や画像を検索してシゴかないと気が済まなくなる。 このようにすぐに興奮させられて人生の貴重な時間を削られる一方で、エロい格好をした女たちは淡々と道を往来してることにむしゃくしゃし、彼女たちに暴力を振るう妄想にふけったり、ヒール靴を脱がせて投げ捨てたい衝動に駆られたりしてきた。 いちいち発情させられるのに嫌気がさして、自分自身が女になればいいと考え、ウィッグを被って女性用のレオタードを着ながらオナニーをしたり、お尻の穴に指を突っ込んだりもしてきた。 アスペルガーな性質もあるせいか、「勃起する = 抜かなくてはいけない」みたいな思考になる。ある意味では真面目ともいえる。 酒などと同様に、オナニーをし過ぎるとストレス耐性が無くなってしまうし、刺激過敏やHSPも悪化する。以前、日常のちょっとした刺激ですぐにオーガズムに達してしまうことに耐えられず自殺した女性のことがニュースになったが、オレも乳首をいじり過ぎたせいでシャツやイヤホンのコードがちょっとシ

美人でも話しててつまらない女なんていらない

オレは話したり一緒にいて楽しくて道ですれ違う時にちゃんと半歩空けてくれてオレの作風を気に入ってくれる、平均的なルックスの女性と付き合いたい。せっくすもしなくていい。手繋いだりちゅーが出来ればいい。 オレはメンタル系の疾患があるから同じような相手を探してきて何人かとやり取りしてきたけど、同じ病気や悩みがあるからといって大の仲良しになれるってわけでもなく、特にADHDや躁鬱系の人、特に若い人は自己主張激しい構ってちゃんが多いからぶつかり合うことが多い。まあ、相手とか年齢次第ではある。 オレはやっぱり普通の女性がいいや。 ブスやデブ、ババアは優しくないと生きてる価値が全くない。優しくて気が利くブスやババアとなら友達になりたい。ブスで性格も歪んでるなんて絶対にあってはならないこと。不細工な人や醜い老人はもっと卑屈に、謙虚に生きる必要がある。オレは平均的な顔立ちだがもう老けてきて醜くなってるから今後は醜いジジイなのに存在してしまってすみませんと呟きながら謙虚に生きようと思う。 綺麗すぎる女は高嶺の花だし扱いに困る。結構キレイな風俗嬢と付き合ったこともあったがなかなかのクズ女だったし怖かった。美人でも一緒にいて楽しくない、落ち着けない女は金で割り切った関係で十分だ。身が持たない。 それでも性懲りも無く風嬢と付き合う妄想に耽ったりもしている。

メンタル的弱者の男性は強い女性に守られる義務がある。

メンタル強い女性の尻に敷かれたいわあ… でもあんまり口うるさく言われたり馬鹿にされると男性の腕力を発揮して報復したくなってしまう メンタル強い女性に守られたいし、男女問わずメンタル強い人間に守ってもらわないと生きていけない 今までメンタル強くて図太い神経を持った人間を憎悪して生きてきたけど、ただでさえメンタル弱い上に歳を取って昔の勢いとか元気も無くなってしまって不安だらけの生活を送ってるから、考え方を変えてメンタル強い人間に媚びたり敬意を表して同情を引いたり母性本能を引き出して味方に付けて守ってもらう戦略に出ることにした 強い男性に守られたいと思ってる女(野球好きの女に多いが)なんて生きてる価値無いよなあ。対人恐怖症とかならまだしも 筋力の弱い女が本能的に社会や男性に守られようとしてしまうのも無理もないが 人間は矛盾した生き物だから強者に守られたい部分と、弱者に共感したり惹かれる部分が共存してる女もたくさんいるのだろう 強い男性を求める強い女性を見ると殴りたくなってしまう 強い女性は弱い男性と付き合わないと割に合わない ヘタレなくせにプライド高い男って一番人生損するタイプだよなあ。引きこもりとか犯罪者になって人生終了 やっぱりメンタル弱い人はメンタル強い人に守ってもらわないとね

私の病気と馬鹿な精神科医による誤診

私の症状は複雑であり、精神科でまともに診断された試しがない。 私の脳は天気や季節、光、音、匂い、暑さ寒さなどに過剰に反応し、気候によって気分がコロコロと変わったり、物音に過剰にビックリしたりその音や他人の咳、犬の鳴き声などの真似をして大声を上げてしまったりする。カフェインやアルコールなどの依存物質にも反応しやすく依存しやすい。 また、良い出来事、悪い出来事にも大げさにに反応してしまい、気分の波が非常に激しい。人や物、企業に対する評価も激変してしまう。 何かを考え出はじめたり興味を持つと、頭の中がそのことで夢中になり、今やるべきことに頭を切り替えることができず、何かを計画しても途中で他の事に興味が移り、物事を計画通りに成し遂げることが出来ない。

SNSとかコミュニティ機能があるブログだと世間体を気にしちゃう

Blogger が孤独すぎてさみしいからコミュニティ機能があるはてなブログに移ったものの、移行前から懸念してた通り読者数とかスターの数を気にしちゃったり、グループに参加したり読者が付くことで世間体を気にするようになってしまった

月をテーマにしたオリジナル曲「月鏡」(つきかがみ) の歌無し版をリリース

2017年の秋に書いた曲をようやくレコーディング出来た。ひと月遅れの皆既月食。 元々はテレキャスターで作ったけどアコギの方が合いそうだからアコースティック曲にした。 金がない生活保護受給者だから中古で買ったヤマハの7千円のギターを使用。 書いた時には特に何のテーマも考えてなくて適当に弾いてるうちに作っただけだったけど、「将来人類が月に移住して、地球を鏡に写したかの如くまた歴史を繰り返す」みたいな後付けの設定を付けた。

現実逃避してるうちに生活保護を受給するハメになった

オレは 20 代の頃はちゃんと働いていたが発達障害で社会に馴染めず躁うつ病も発症して気が狂って自殺を試みたが死ねず、実家に戻って引きこもりニートになっていた。 それからは「どうせ死ぬからどうでもいい」と言って仕事もせずにフラフラしていた。 ADHD で気が変わりやすいオレは自殺すると言っておきながらオナニーや浪費、ゲームなど快楽行動に走っていた。 ニートしてられるだけあって親はそこそこ金持ちだった。 その後、日雇いや短期バイト程度の仕事は時々やっていたが元々漫画家とかアーティストを目指してたオレは基本的に働くこと自体が向かない社会不適合者だからまともに生きていくという意志もなかったし、いざとなれば親に頼ればいいみたいな感じで、金銭感覚もルーズだった。

ADHDだから細部まで凝った作品は作れない

Photo by  kamichan1224 すぐに飽きてやる気がなくなる 凝ったことは出来ない 瞬間的なひらめきにかけてはワールドクラスだろう しかしそれを最後まで完成させることが出来ない 最後までやり遂げられないのは単純にバッテリー切れの時もあるし、他のことに目移りするのが原因の時もある。

家でも外でも全く集中出来ない

平日に家にいると死にたくなったり怠けちゃったり部屋でじっとしてられなくて外で仕事しようと思って公園とか河原とかに行くんだけど作業に取りかかるまでに数時間くらいかかったり、全く作業出来なくて結局は家に帰ったりする(家に帰っても集中出来ない)

ハリーポッターと生活保護

今となってはもう昔のことだが、ハリーポッターという名の本と映画が流行っていた時代があった。しかしながら当時の自分は童貞を捨てることに必死で映画どころではなかった。今にして思えば、ハリーポッターを話のネタにして彼女を作るという発想に至らなかったことが不思議でならない。

歳を取って世間体やSEOを気にするようになり、つまらない人間になってしまった。

昔はいきがってネットに暴言を書いたり自殺予告をしたりブログや SNS ではっちゃけた感じのキャラでコメントしたり SEO なんて全く気にせずにブログを書いていたが、ネットで傷付けられたり傷付けたりすることにうんざりし、人間関係もめんどくさくなり、ネットも怖くなってすっかりしょぼくれてしまった。 人を傷つけたり人に言えないようなことをやらかしてきたからもう人生を楽しんではいけないみたいな感じになってしまった。 ネットじゃなくてリアルでも ADHD と躁うつ病の破滅的な性質をフル大限に発揮して奇行に走ったり大声を上げたり路上で性器を出したりしてかなりぶっ壊れていたが、怒られたり人間関係を破綻させたりして失敗を重ねた結果しょぼくれてしまい、秀才タイプのようなマニュアル通りでつまらない人間になってしまった。 文章ももっとはっちゃけた文体でめちゃくちゃな言葉遊びを多用したぶっ壊れた感じの文章を書いていたがすっかり SEO を気にしてつまらない文章を書くようになってしまった。今は真面目な文章と壊れた文章を使い分けることにした。 出会い系とか友達募集掲示板とかでもつまらない定型文で募集するようになってしまった。そうするとメールしてくる相手も世間体を気にしたつまらない相手ばっかりになってつまらない。壊れた文章で募集したほうが返って反応が良かったりもする。変な人からも返信が来るが。 今X(Twitter)なんかで死ぬ死ぬ詐欺をしてる双極性障害やボーダーの若い子たちを見てると「ああ、オレもこんな感じだったのか…うざいな。関わりたくないわぁ…」と思ったりする。 昔の楽しかった自分を取り戻したいが、また失敗するのが怖いし、過去の過ちに対する罪悪感からも、人生楽しめなくなってしまいしょんぼりとしたおじさんになってしまった。 殺人を犯したわけではないからまだ少しは人生を楽しんでも良いんだろうか。こんな障害抱えて歯医者にも行けないんじゃ人生楽しみようがないが。 この世を憎悪したり自殺願望を抱きながらもほどほどに楽しむことにするか。

MacBook買う金が無いから迷わずThinkPadを買った

ワタシ、生活保護ね。ワタシ迷わないMacBook迷わない。お金なくワタシThikPadね。ワタシ自分の国好きちがうそしてThikPad好き。 ——オレはもう10年近くiPhone, iPadのヘビーユーザーなのにMacを買ったことがない。パソコン自体もうほとんど必要無かったんだけどどうしてもパソコンがときどき必要になるからMacBookにするかWindowsにするか、最初からThinkPadを買うことが運命付けられてるのにあえて迷うフリをした。

「てみた」を使う、昭和臭い若者たち

オレは「てみた」とかいう言葉が嫌いだしさすがに飽きてしまった。 はっきりと物を言わない、言えない、みんなと一緒がいい、同調圧力、過剰な敬語、おもてなし文化みたいな日本の古いしきたりを体現した「てみた」。 いちおう表面的には敬語文化に対する反抗なんだけど、それでいながらしっかりと古臭い日本文化や昭和の価値観に根ざしてる「てみた」。 言ってみれば、「お行儀のいい反抗、いきがり」みたいな物なんだろう。 物事が白黒はっきりしてないとむしゃくしゃしてしまうオレにはこのお行儀のいい反抗が嫌で、いきがるならいきがるで思い切って汚い言葉を吐き散らしていきがってほしい。誹謗中傷を恐れて謙遜したフリをしてるんだろうけど、逆にイライラしてぶん殴りたくなってしまう。 褒められたり共感してほしくて発言したり作品を公開したりしてるんだからもっと直接「頑張って歌ったから褒めてくれ」みたいに言ってくれたほうが「うーん、じゃあ一応褒めるわ」みたいになるし、逆に「てみた!」とか言われると「てみなくていいから早く死ねよ」ってなってしまう。 日本人のこういう本音を言わずにまどろっこしい言い方をしたり「みんなと一緒がいい」みたいなキモめな雰囲気ってうか風習は変わり者のオレには無理すぎて生きづらくてしょうがない。 まあてみたはてみたでも、「路上でちんこ出してみた!」みたいな露骨に叩かれたりするような内容だったらギリギリ許せるしオレ自身そういう体を張ったいきがりをしてきたからいいんだけども、ただそこまでやるなら人の真似して「てみた」なんていう死語を使わずに自分の言葉でいきがればいいのにって思う。 オレが今20代だったら「オレはてみたは使わない、てみたを使うやつは耳を引きちぎって食べる」みたいな感じでSNSでいきってたんだろうな。そういう若者がいれば応援したいんだけど、ネット社会の若い子たちは表面的には反抗的でも内容的にはかなり昭和臭い子が多いように思える。 日本は表向きだけ欧米の真似をしてきたんだけど文化面ではいろいろ遅れてる。つい最近まで単一民族国家だったし、いろいろ遅れてる。正確には進んでるのか遅れてるのかよく分からない国。社会主義っぽい所もあるし。「てみた」も全体主義とか一億総中流的な文化に通じるものがある。 とはいえ、欧米人だろうがアフリカ人だろうが、基本的に人は他人の真似をしたがるし、みんなと一緒がい

はやく音楽を卒業したい

おれは音楽が大好きなんだけど、その一方で憎悪の念も抱いている。 好きなことを仕事にした途端に嫌になったという、よくあるストーリー。 音楽の作り手として音楽が嫌いになってくる要因は、 ・稼げない ・自称インフルエンサーによる宣伝代行の勧誘(音楽とカネの問題) ・他人の曲を演奏するだけなのにフォロワーたくさんいる人たち ( 特に見た目がいい女性 ) を見てるともう音楽作るのが馬鹿らしくなってしまう ・ 1 曲完成させるのに思いのほか時間がかかる ・単純に音楽というものに飽きた ・AVを見たり不細工な顔で鼻をほじりまくったりでっかい屁をこいてるのに SNS でカッコつけてグラサンしてペルソナ作るのがめんどくさくて虚しい ・SNSで宣伝目的でイイネし合うのがダルい。動画を再生もせずにイイネしてくる馬鹿が多くて音楽どころか世界が嫌いになってくる などが挙げられる。 とにかく努力や時間に対する報酬が割に合わなすぎる。がんばって 1 から曲作って、綺麗に録音して、編集して、想像以上に時間のかかるイコライジングやミキシングをして、アートワーク更には 動画 まで作って、それでどれだけ稼げるんだって話で、大抵の場合はかなり馬鹿げた収入しかない。 楽曲提供とか、作曲家として仕事を受注するようなスタイルなら稼げるのかもしれないが、そういう方向性はまったく興味がなくてオレには不向きだと本能的に感じてもいる。おれはただ単に、子供を作る代わりに自分のオリジナル作品をこの世に残してさっさと寿命を迎えて、永遠に生きることしか興味がなかった。 受注作曲の仕事も、クラウドソーシング系の案件はプログラミング系やデザイン系なんかと比べると圧倒的に少ない。音楽なんてもうあんまり需要ないんだな。曲なんてネット上にくさるほど溢れてるし、ループ素材も溢れてて、新しく 1 から作るのが馬鹿馬鹿しくなってくる。今後は作曲の仕事もかなりの部分、AIに取って代わられていくだろう。 音楽そのものを売るというより、映画やゲームなど、他の稼げるコンテンツのオマケとして音楽を付けるスタイルなら稼げるだろう。音楽だけではダメ。まあハッキリ言ってエロがいちばん手っ取り早い。 アイドル やテイラー・スイフトもまずはエロがあって、そのオマケとして音楽がある。フォロワーがいっばいいる見た目がいい女性のギタープレイ動画も、オレや他の視聴者の

この世界に飽きてしまった。地球爆発してみんなと一緒に一瞬で消し飛びたい。

この世界にうんざりした 何がうんざりって、正しく生きられないこと 正しく生きたかったし、真理を模索してきたがそんなものはなかった 金とエロがある以上は正しくなんて生きられない 「正しくなんて生きなくていい」みたいな哲学もあるが真理ではなくてただの妥協でしかない 妥協して生きていかなきゃいけない世界に生んでほしくなかった 毎日葛藤しながら生きることにうんざり 正しくない世界で葛藤しながら生きなきゃいけない苦痛   もうはやく地球爆発しちゃってほしいっていうか、地球存在しないでほしかった 奇跡の星とか言われてるけど生命が誕生しない星のほうが俺にとっては奇跡的すぎる 生命の食物連鎖のシステム自体が腐ってるし、人間なんて嘘つくために生まれてくるだけだしほんと気持ち悪い 頼むからはやく地球っていうか宇宙爆発してほしい 星に願いを 人間のいない地球を見てみたい

ADHDの自分に向いてること、向かないこと

かれこれ40年近くADHDライフを送ってるけど遊びや趣味ならともかく社会生活や職業的には向かないことの方が圧倒的に多かった。そもそも社会自体が無理だった。 遊びとかある程度慣れ親しんだ仲間内の会話とかでは輝けることがあっても、社会ともなると毛色の違う人間とも関わらなくてはいけないし、仕事も最後まで仕上げなきゃいけなかったりするから欠点ばかり露呈されることになりがち。

心の底は15年以上ずっと鬱状態

画像提供: unsplash.com すっかり心身共に鬱に染まってしまった もう慣れちゃってて、抑うつ感が無いと落ち着かなそうだ 健康な状態ってのがもう想像出来ない テンション上げたり、笑ってる時もなんかこう、心の根っこは落ち込んでる感じ。躁鬱混合状態っていうのか、テンションの上がり方も抑うつの反動から来るおかしなテンションだったりする。ヒステリー症状みたいな感じ。 鬱ると何でもマイナスに捉えちゃったり、五感が異様に研ぎ澄まされてリラックス出来ない あんまり自覚してないけど身体のほうも健康な人と比べるとかなり不健康なんだろう。あらためてみるとなんか異常に立ちくらみがしたり、ちょっと人混みで小一時間過ごすだけで戦場から帰還したかのごとくヘトヘトになって身体がずっしりと重くなり、偏頭痛がして吐き気もする。車酔いしたようになるし肩と首の凝りも尋常じゃない。 息切れも激しいがこれはタバコと運動不足のせいだろうがこれもまた鬱と相互作用がある。鬱になる→嗜好品増えて運動も億劫になる→鬱悪化 のスパイラル。 鬱だと束の間の抗うつ作用のあるタバコやカフェインがなかなかやめられない。酒、特にすぐに小便が出るビールはおれにとってはそんなに悪い物ではなく、タバコやカフェインと比べてかなり露骨に気持ちよくなれるしリラックス出来る。飲み過ぎはよくないが。極貧のおれには経済的にも大打撃だ。この貧困もまた鬱悪化のスパイラル要員だ。4月になったら音楽活動を中断してちゃんと金を稼ごう。 薬はしばらく飲んでなかった。表面的な症状を抑えるだけで根本的な解決にならなくてしかも副作用(肥満や衝動性、依存など)もありがちな薬を飲みたくなかったのもあるし、おれの鬱は単発の鬱ではなくて双極性障害や解離性障害の一症状で、SSRIなど強めの抗うつ薬を服薬すると異様に興奮したりキレやすくなったりするので抗うつ薬はちょっとマズい。オランザピンなどの気分安定系のほうが良いだろうがちょっと薬価が高い。( 追記: 薬は結局ラツーダに落ち着いた。高いけど自立支援医療あるから許容範囲 ) 最近はでも躁状態になることもだいぶ無くなってて、ほとんどずっと抑うつな感じだから、スルピリドっていうちょっと軽めの抗不安薬を飲むことにした。これは元々は胃薬らしく、紅茶飲み過ぎて胃が荒れて焦燥感満載の最近のおれにはなかなか合ってる。5年以上前にも

noteの有料販売なんかより、本を出版したい。

note は本の代わりにはならない 文章主体だから画像多めの雑誌には向かない note やブログはそのうち廃れるからせっかく書いた記事も跡形もなく消える 本ならちゃんと考えや言葉を残せる 電子書籍なら今はもう簡単に出版できる ページなんて数ページでいい 本もブログ感覚で直感に任せてちゃちゃっと書いて出版出来ちゃう時代 note の有料犯罪もかまわないが、個人的には本の出版をおすすめする 判決 note は、有罪! 何かを残したいけど本を書いたり動画や子供を作るのは面倒。絵本はどうか? www.hinoki-blo.com noteはもう時代遅れなんだと思う… www.hinoki-blo.com

作品を作ってさらにそれをSNSで宣伝するのは負担がデカすぎる

音楽、絵、本、 YouTube チャンネル、ブログなどを自分で SNS で宣伝するのは 時間的 / メンタル的に 負担がデカすぎるから広告とか専門家に委託したほうがいい。 今はネットで一人で何でも出来ちゃうからついつい自分で営業活動までしてしまいがち。しかしただでさえ作品を作るのに時間やら体力やら頭を使うのに、宣伝とかその戦略を練ることにそれらを使うのは馬鹿げてる。

またアル中になってきた (ミュージシャンやアーティストとADHD・薬物依存)

ミュージシャンだとかアーティストタイプの人間はカフェインやアルコール、薬物に反応・依存しやすい脳を持っていることが多い。言い替えるとADHDとか、躁うつ系の脳。 芸能人や有名人だからプレッシャーがあったり、浮き沈みの激しい業界だから薬物に走るっていうよりは(そういうこともあるが)、アルコールや薬物に反応・依存しやすい脳は音楽とか、芸術とか役者とかの才能を持ち合わせてることが多いってことなんだろう。

音楽の宣伝のためにTikTokやったけど好きになれず1日で辞めた

インスタだけじゃ足りないなと思って TikTok をダウンロードしたがいきなり頭弱そうなナルシスト女が踊ってるくだらない動画が出てきて馬鹿らしくなった。 踊りはどうでもいいからヤらせてほしい。トレンドに出てくるのも全部ゴミで不快感しかなかった。 TikTok は確かに勢いもすごいし今じゃ北米圏でも使われてるし巨大な市場なんだけど直感的に嫌いなものを無理して使う必要性は感じなかった。

子供いらないから代わりに音楽作ってる

おれは少子化に賛成派で、もう地球パンクしそうだし、何もかもデジタル化してアーカイブされちゃっててつまらないし、新しい音楽ジャンルももう誕生しないし、歴史は繰り返すし、争いなくならないし、人類はもう年金生活みたいになっちゃってるからこれ以上馬鹿みたいに増殖してもしょうがないと思ってる。生まれてこないほうがよかった人間もたくさんいるし。 でも一介の動物である以上、何かを残したい本能は否定できない。でも子供いらないからその代わりにこうやって記事を残したり音楽を残したりしてる。 反出生主義っていう思想があってかなり共感したけど、あれは破壊とか破滅、絶望、抑圧的な方向に偏りすぎで、「破壊と創造」をモットーにしてるオレには微妙に合わなかった。名前もダサいから一般ウケはしないだろう。何よりエロさに欠ける。 オレは反出生に基づきつつも、もっとポップでキャッチーで可愛くて愛情豊かで優しくてエロくて生産的な破壊や滅亡を望んでいる。 そのうち出生率コントロールをテーマにした音楽動画を作ろうと思う。 もっと人口減らしてのびのびとした世界にすべきだ。がんばってください。

もっとはやく精神疾患のことを知っておきたかった (発達障害と2次的な疾患で人生崩壊)

画像提供: unsplash.com おれは生まれつきADHDとアスペルガーのハーフなんだけど、今でこそネットにたくさん情報あったり、テレビで取り上げられたりしてるんだけど、おれが子供の頃は親も教師もそういう知識なんて誰もなかったから、何か人と違うなとは思いながらも「おれが悪いんだ」みたいになって一人で抱えてしまった。 アスペルガーの部分としては、人に何か遠回しな表現や社交辞令を言われたとき、言葉通り受け取っちゃったりして、社交辞令の褒め言葉にすごいデレデレしちゃったり、逆にあまりにも胡散臭い社交辞令に対しては「本心を言ってくれ!!」とブチ切れてしまったりしていた。今でもそういう兆候はある。(だから過剰な遠回し表現を使う日本社会はおれには向かなすぎるからSNSで英語使って海外の人と交流したり英語の歌やってる) 

音楽を宣伝するのにSNSは本当に必要なのか

自分の音楽を宣伝したくていろいろ SNS 使ってきたんだけど今のところ大した効果は得られてない。 インスタはいいねはよく付くんだけどそのほとんどが同業者からの自己宣伝目的のお世辞いいねとかお世辞フォロー ( 俺も最初のうちはそういう行為を行ってた ) しかなくて、投稿に YouTube とか Spotify のリンクも埋めれないし、ツイッターや Facebook みたいな拡散性もないからダメだった。 ツイッターはリンク付けられるし拡散機能もあるし、他のアカウントのツイートに便乗して返信やリツイートに自分の投稿を付けたりすることも出来る。 しかしツイッターは誹謗中傷とか炎上がいちばん多い SNS だからメンタルが脆い おれにはかなりきつい。 そもそも一般リスナーの人はどっちを使ってるのか。インスタは自分がコンテンツクリエイターでもない限り続かないんじゃないかって思うんだけど。クリエイターとか企業じゃない人は何のためにインスタなんてやってるんだろうか。 Facebook とか Mixi みたいに続かなくなる人多そう。自分では投稿せずに有名人とかブランドの投稿だけ見るって人も多いんだろうけど、ニュースアプリでもあるツイッターと比べると汎用性は低い。大抵の企業や著名人はツイッターもやってる。そのツイッターだってやらなくても普通に生きていけるしやってない人もたくさんいるのに。 そもそも音楽を宣伝するのに本当にSNSが必要なのか分からない。自分からフォローしまくったり使いまくればおすすめに表示されたりして効果はあるんだろうけど費用 ( 時間とメンタル的な負担 ) 対効果を考えるとおれにはかなり無駄な時間に感じる。 全然興味ない投稿 を見せられるのも苦痛だし、それを延々とスクロールし続けるのもめんどくさくて、「弾いてみた」とか「歌ってみた」とか正直どうでもよくって、社交辞令でいいね付けたりしてるがこれがまた苦痛だしみじめで虚しい気分になる。 そもそもおれは基本的に資本主義社会が性格的に合わないんだよなあ。商魂みたいなのが皆無だし、必死こいて宣伝しまくったりとか、胡散臭いキャッチコピーつけたりとか、プロフもよく読まずにフォローしたりとか、キモすぎてな。 SNS やめてブログ と YouTube とか Google の有料広告だけで運営していこうかな。資本主義が性格に合わないくせに資

オレが絵本を描いても内容的に誰も買ってくれなさそうだ

後世を担うソシオパスな子供たちに何かを伝えたくて、 YouTube の子供向けアニメーションを作るか絵本を出版するか悩んでたが、オレが絵本を描く場合、 「君たちの親は世間体の為だったり、性的快楽の為だったり、老後に自分達の世話をしてもらおうっていう計算だったり、寂しいからっていう理由だったり、とにかく自分の都合で君たちを産んだだけだから親の言うことなんて聞かなくていいんだよ。」 的な内容や、 「安全がしっかり確認出来れば赤信号を渡ってもいいんだけど、子供は不注意で落ち着きがないから子供のうちは信号を守って、大人になったら赤信号を渡ればいい。ルールになんか従わずに、自分の頭で物事を考えなくてはダメだ。」 「神様なんていないから神社でお参りなんかしなくていいんだよ、神様はお金が欲しいだけ。神様は自分で産み出そう。」 みたいな内容になってしまう。 当然、親たちは誰も買ってくれないから YouTube にしようと思う。無料で見れる YouTube なら少なくとも小学生は親のパソコンや携帯でこっそり検索してみてくれるかもしれないし、近所の子供たちに動画を見せて流行らせてくれるかもしれない。 オレは普通の親たちがはぐらかせて答えるようなこと (セッ クス のことなど ) も馬鹿正直に答えたり、「なんで産まれてくるの?」とか「神様っているの?」みたいな質問にも親身になって同じ立場で真剣に考えたり悩んだりするからけっこう子供たちには人気がある。 子供たちに世の中の常識が全部間違ってるってことを教えてあげたいな。 https://www.hinoki-blo.com/2022/11/childbook4ever.html 何かを残したいけど本を書いたり動画や子供を作るのは面倒。絵本はどうか? ADHDクリエイター紀伊原ひろの器用貧乏なブログ https://www.hinoki-blo.com/2022/11/paper-vs-digital.html 紙の絵本 vs 電子絵本 紙の絵本と電子絵本のメリットとデメリット

拝啓、神様。 限られた人生を背負わせてくれた畜生なホトケ様。

ああ、、おかみさん、おれには耐えられません。仕事も出会いも何もかもが限られ三昧だってことに。 限られた人生という名の悲しみと苦痛 まず、人生は一度きりっていうこと自体がもう苦痛だ。生まれながらのクッ…!ツゥっっ……!! 短気な俺たちはいつも怒ってて、限られた時間がムカつくから、他人や物、ときに神様に八つ当たりして無駄な時間を過ごしてる。 ひとつの会社に就職して、一生そこであくせく働いて、短期な上司に怒られて命を削るのも嫌だった。だから短期のバイトなんかをするんだけど、そこにも短気な奴しかほとんどいなくて、正規雇用と非正規の違いを学ぶことは出来なかった。 「短気は損気」なんて言うけど、この言葉を開発した当の本人でさえ、限られた人生にムカついてるらしく、ときどき俺に対してすごい不機嫌な対応をしてくる。おかげで俺はこんなにも傷つきやすいペンタトニックになってしまった。 音楽みたいに、きっちりと限られたコード進行や限られた弦数・鍵盤数の範囲内でメロディを作ったりするのは割と好きだ。ロゴデザインや俳句みたいなのも同様で、ある種の美学がある。 だが人生とか、仕事とか恋愛ってなると話は別で、どこまで限りがあるのか、どこまで可能性があるのか、それがハッキリしなくて曖昧だから頭が混乱するし、ヤキモキするし、ソワソワするし、浮気性にならざるを得ない。 浮気は悪いことじゃなくて、人生が限られてるのが悪いんだと思う。極悪とさえ思うな。だから浮気性の神様だとか、ホトケノザだとか、おかみさんと浮気するしか選択の余地はないんだと思う。 仕事も辞めていいと思う。就職なんてほんとにゴミで、転職こそが俺たちにとっての天職だと思ってるし、ある意味ロックな生き方だと思ってる。今の時代、ロックンロールっていうのは音楽ジャンルのことではなくて、異性や職業や賃貸を転々としながら転び回って地球軌道を乗っ取ったり、同僚の妻を寝取ったりしながら生きる、そういう生き方のことを言うんだと思う。 マイホームも時代遅れだと思ってる。今すぐオークションに出したほうがいい。そしてキャンピングカーに住むことを強く推奨いたします。どっちにしたって俺たちが家賃を滞納し続けているこの星には限度があって、それでいながら無限にも感じるような、曖昧で不確実な、ワールドワイドでローカルエリアな金木星なのだから。 ある意味、欲求不満な人類がア

ふとした瞬間に首を吊りそうになってしまう

なにか特別嫌なことがあったわけでもなく、この世のすべてがどうでもよくなったような、存在してること自体が無意味なような気分になって、突然無意識に自殺に向かっていて、ハッと我に返ることがよくある。 特に春とか秋、季節の変わり目にそういう風になる。これらの時期はやっぱり自殺率も高い。衝動的とか計画的な自殺よりも、突然フワッと向こうの世界に吸い寄せられるような、白昼夢を見ているような感じで飛び降りたり、飛び込んだりするタイプの自殺が多そうだ。 週末はアドレナリン出るからそういう危機はそんなになくて、やっぱり週明けとか、平日が多い。春はほぼ常に、秋は夕方に自宅にいる時になりやすい。今日も突然首吊りそうになってしまった。 風呂とか寝てる時なんかに極度の孤独間を感じて解離状態になったり、血の気が引いて不整脈と過呼吸の発作が起きたりする。日常の自分も人間関係もネットもすべてが嘘で、無意味なように感じる瞬間。自分が存在してるのかしてないのか分からない感覚。 どうせすべてが無意味なら、このままダラダラ老いていくより、ひと思いに終わってしまいたいという感覚。 昔から自殺志向はあったけど、昔はもっと若々しい、怒り等の強い感情を伴う衝動的なものだった。「死んでやる!!」みたいなパターンが多かった。人の注意を引きたかったり。 最近の場合は何かこう、絶対的な癒しとか、安全とか、永遠に続く穏やかで平穏な世界とか、そういうものに対する憧れと渇望が強い。 人間生きていればいろいろと汚れていくわけで、その汚れを洗い流して、リセットしたい、すべて忘れたい、誰も自分のことを知らない世界へ行きたい。絶望の末の、希望。 それでも本当に完全に忘れ去られたいわけではない。それどころか、何かを残したい欲求に駆られて曲を作ったりブログ書いたりしてる。ただやっぱり世間体を気にして編集したりしてるから、時々無意味で虚しく感じてどうでもよくなったりする。 虚偽の自分をすべて忘れてほしい。本当の自分なんてどこにも存在しない。 「自分」というものは社会の中で形成されていくもの。だけどその社会そのものが嘘の世界だから、本当の自分なんてどこにもいないんだよ。 だから時々圧倒的なまでの孤独感に駆られて、向こうの世界に誘われる。向こうに行けば本当の自分でいられるかもしれない、自分のことを知っている人と出会えるかもしれない、すべてをやり直

何かを残したいけど本を書いたり動画や子供を作るのは面倒。絵本はどうか?

最近、後世に何かを残したいと思ってブログを書いてるんだけどブログやnoteはサービスが終了したら消えちゃうから他の方法を考えた。 YouTube はまだまだ息が長いだろうし無料だからかなり良いんだけど、動画を作るのがめんどくさい。既に音楽配信用のチャンネルを持ってるからチャンネルを増やしたくなかった。そして喋りが苦手。 子供を作って自分の子供に意見を押し付けるのはどうか。そんな毒親に育てられた身としてはそれもちょっとめんどくさい。そもそもオレみたいに精神病とか発達障害の遺伝子がある人間は子供作らないほうがいい。 保育士や教諭になったとしても、子供たちの前で性器を露出したりして捕まるのがオチだろう。 やっぱりちゃんと自分の考えとかアイデアを後世の人々に伝えるには本を書くのがベストか、と思って本を出版する方法を調べたんだけどめんどくさくなってしまった。 まず商業出版に関してはごく普通にハードルが高く、とにかくもうめんどくさかった。活字離れとサブスクの時代にあっては出版社としてもリスクを負ってまで無名の素人が書いた本を出版する気にはならないだろう。 次に自費出版。これはもうただひたすら金がかかり、無慈悲にもほどがあった。 そして高齢出産。これに至ってはもはや狂ってるとしか思えない。 10 代で親の介護をしなくちゃいけない子供が不憫だ。 Amazon の KDP(Kindle Direct Publishing) のようなセルフ出版ならどうか。これならオレにも出来そうだと思ったが、そもそも、本を書くこと自体がめんどくさかった。ブログ記事と違って、本である以上はそれなりのページ数が必要だということ。数ページ程度でも一応販売できるらしいが、金を払って買ってもらう以上、さすがに30ページくらいは必要だろう。飽きっぽくて脱線しやすい ADHD のオレには難しい。 セルフ出版の場合、SNSで宣伝したり有料プロモーションをしないとほとんど誰にも見られない。だが自費出版するくらいならセルフ出版して有料広告に金を使ったほうがいい。 そんな自分がようやく辿り着いたのが「絵本」だった。絵本ならページ数も少なくて済むし、伝えたいことを要点をまとめて分かりやすく後世に伝えることが出来る。 絵本、特に電子版の絵本制作について調べると、 デジタル絵本を割と簡単に創ったり、 無料もしくは少額 で出版でき

もし神様にもう一度産まれたいか聞かれたら絶対にNoと答える

親や時代や環境や人種や性別や見た目を選べないって、ほんとにゴミみたいなシステムで、神様はかなり性格が歪んでると思う。 もう一度この世に生まれて来たいか聞かれてYesと答える人っているのかな。おれは自分自身がネガティヴ脳でマイノリティな人間だから、どうしてもそんな人間一人もいないんじゃないかって思うんだけど 産まれて良かった人ってどういう人なんだろう。とりあえず普通の人間であることは間違いない。普通じゃない人は二度と生まれて来たくないと思ってるんじゃないかな、仮に今の人生を出来るだけポジティブに楽しむようにはしていても。 普通じゃないと言っても、何も病人とか障害者のことだけを言ってるんじゃなくて、いちおう人生成功してる変わり者とか、天才とか、そういう人も含めての話。普通の人が憧れる有名人とか、天才の人とかも、二度と生まれてきたくないか、もしくは生まれてくるなら普通の人間になりたいって答えるだろうね。たしか、ダウンタウンの松っちゃんも「生まれ変わるなら笑わせる側じゃなくて笑う側の人間になりたい」と言っていた。普通じゃなくて周りの人と波長が合わない天才な人は孤独に苛まれてたりけっこう悲劇的だったりする。おれも結構天才肌な精神病者だから分かる。 普通の人は生まれてきても良かったと思ってるのかな。ただ単にそういうことを聞かれた時だけ人気のありそうなポジティブな解答をしてるだけなのかな。 もし本気でもう一度生まれてきたいって言うとしたら、おそらく馬鹿か、性格が悪いのに性格の悪さを気にも止めないサイコパスだろう。あるいは、ルールにさえ従ってれば正しい人間だと思ってるような、自分で思ってる以上に実際にはなかなかのクズであるにも関わらず自覚が無いような人間だろう。法律さえ守ってれば良心的な人間だと勘違いしてるような奴ら。 普通で、そして見た目もある程度良くないと生まれてきたってしょうがないよ。 見た目のいい普通の女性が一番生まれてきてもセーフだったんじゃないかな。性欲に悩まされないで済むし、昔と違って暴力とかセクハラもかなりしづらい世の中になってる。女性はいろいろと我慢しなきゃいけないって言うのも昔の話で、今はむしろ男性の方が、生まれ持った運動性や衝動性や暴力性を必要以上に抑えなきゃいけない世の中になってる。女性は何かと優先されるし(見た目が良い場合に限る) 。女性でも不細工だっ
Pick Up
©Hiro Kinohara
Powered by Blogger