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10年ぶりにスタジオ行ってきたがオレも店員さんもシャイだから友達になれなかった

画像提供: unsplash.com

オレはシャイなむっつりスケベだ。そしてスタジオの店員さんは私の次にシャイだったから友達になることは出来なかった。

人見知りなオレは美容院とかお店で会話するのが苦手だ。正確に言うと社会的な仮面を被って日本的な、遠回しで遠慮しがちな会話やビジネス会話みたいなのが生理的に無理で、敬語も嫌いだし、なかなか他人に馴染めず、犬や子供、一部の外国人にしかなかなか心を開けない。相手が日本的風潮やネット社会に完全に染まっちゃった人だともう諦めざるを得ない。ジジイとかババアは話しやすいんだけど、昭和の価値観で固まっちゃってるから話すこともほとんどないしなあ。

親とまともに会話したことがないせいか、人と会う前にすごい予行練習したり妄想しちゃう。妄想して事前に会話を組み立てるんだけど、それが実現することはめったにない。昔は頑張ってキャラ作りして妄想を具現化したりもしていたけど自分で自分が胡散臭くなって虚しくなってしまった。

予約の電話とかをする時、言葉遊び記事に表れてるように素のオレは言葉使い変だからそういうのが飛び出ないために、紙にセリフを書いて予行練習してからキョドりながら電話したり、緊張をほぐすために酒飲んだり全裸で電話したりしてる。

予約もそうだし、10年ぶりにスタジオ行くのも緊張したから軽く酒を入れていった。

店員氏は慣れれば良い人なんだけどオレの次にシャイな人だから微妙にそっけなさを醸し出していた。悪気はなくてもついそっけない態度になってしまう人物はオレも含めて今の世の中たくさんいるから仕方ないのだが、ついつい人に期待しすぎてしまうオレは普通なら何とも思わないようなレベルのそっけなさで応答されるだけで自分の全てを否定されたかのように認知してしまい、激しく傷ついてしまう。これは境界性パーソナリティの特徴だが、昔に比べれば落ち着いた現在でもある程度その兆候は残ったままだった。

会話ってほんと難しいよなあ。ちょっとしたそっけない返事とか態度、表情、ちょっとした一言だけでも不快にさせることがあるし人によって平気な場合もあればNGな場合もある。気分屋のオレもよく扱いに困られたり、会話中にアクビをしたり(あんまり興味がわかない話をしてるとアクビが出てしまう)、悪気なくデリカシーのないこと言っちゃったりしてきたものだ。

音楽人ってシャイだったりコミュ障な人物が多いから、音楽スタジオの店員の方々には着ぐるみを着てキャラ変えて接客してほしいんだよな。スタジオに限らず全ての人間に仮装をして敬語を使わずに本能剥き出しで対応してほしい。日本的な会話は本当に無理だ。

それから、蛍光灯で明るい部屋だと心が全く音楽モードにならなくて、よく音楽系の専門学校の音楽レッスンの場とかで蛍光灯の下でやってるのを見かけるけどオレはああいうのは本当に無理だ。そもそも蛍光灯が嫌いだ。緊張する。

音楽、特に歌をやる時は自分の身体をただの入れ物にして、どこの馬の骨とも知れない魂を異世界から取り寄せるわけなんだけど、蛍光灯の下ではそれが出来ない。心のスイッチが入らない。音楽的高揚感を得られない。だから蛍光灯のスイッチを消して、魂のスイッチを入れる必要がある。宗教的な儀式のように。ミーティングとかもそうで、蛍光灯はほんと日本人みたいに過度に理性的な光だからそんな環境では輝けないし、いいアイデアも生まれない。

西洋文化のハロウィーンは本来日本人向けのイベントで、理性的で世間体を気にしすぎてしまう日本人は10月31日だけじゃなく毎日仮装して、ゴーストシップに乗って出勤する必要がある。義務化したほうがいい。敬語はもう廃止にする。 蛍光灯も禁止。すべて割る。

毎日新しい着ぐるみを着て、自分を見失なっていきましょう。


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